みなさんはこの映画「スイミング・プール」をご覧になりましたか?以前、映画「スイミング・プール」のレビューを紹介しましたが、とっても謎に包まれた作品ですよねっ。そこで私なりにですが、いくつかの謎について考えてみましたので、ご参考にしてもらえたら嬉しいです。あとみなさんの解釈と比べてみてください。完全にネタバレなので、鑑賞されてない方は鑑賞後に読んでくださいねっ。
「スイミング・プール」の謎・疑問点
- .献絅蝓爾麓尊櫃紡減澆靴燭里?架空の人物なのか?
- ◆.汽蕕量兪(創作)はどの部分?現実はどの部分?
- 殺人事件は本当に起こったのか?
.献絅蝓 は実際に存在したのか?架空の人物なのか?
きっとジュリーは存在していなかったんでしょうねっ。とてもきれいで若くて自由奔放なジュリー。そんなジュリーに対してサラは嫌悪感を抱きながらも、嫉妬などの憧れもあったと思います。そう考えるとジュリーはサラの中にある欲望みたいなものが作り出した架空の人物だと思います。だからこそサラは自分と正反対であるジュリーにもかかわらず、興味を抱き、どこか無視できない部分があったんでしょうねっ。
ジュリーがサラに言った言葉で「あんたなんか考えるばっかりで何も行動できないじゃない!」というのがありましたが、なぜジュリーがサラのことを「考えるばかりで行動に移すことができない」と思ったのか!?それはやはりジュリーがサラの中の一部であり、欲望の部分だからなのかなぁって思いましたっ。
もしジュリーが存在しないとするならばもう1つの疑問が残ります。それは「サラは別荘で1人っきりで過ごしたのか?」ということです。ラストでサラと本物のジュリーが手を振り合うシーンが映るので、本物のジュリーとは一緒に過ごしたのかな?と思ってしまうんですけど、最後サラが本物のジュリーと出版社で会ったとき、どう考えても別荘で一緒に過ごした仲には見えませんでしたよねっ。なのできっとサラは別荘で1人きりで過ごしていたんでしょうねっ。
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◆.汽 の妄想(創作)はどの部分?現実はどの部分?
これははっきりと区別することはできないと思います。ただこの部分は妄想じゃないのかな?というのは何箇所かありましたっ。もちろん今思うとなんですけどねっ。観ているときは「何かおかしい!?」ぐらいにしか思っていませんでしたけど。
まず電話のシーンです。ジュリーが出版社の社長であるお父さんと話していて、サラと変わると電話は切れています。そしてすぐに掛けなおしたはずなのに、ジュリーのお父さんは外出中で話すことはできませんでしたっ。
そして、同じく電話でサラがジュリーのお父さんに「娘が来るなんて一言も言ってなかったじゃない!!」みたいなことを怒りながら言ってましたっ。おかしいですよねっ。別荘に行く前にジュリーのお父さんはサラに「娘がいるかもしれない」と言っていたはずなのに。
しかも、あのときサラがジュリーお父さんと電話では直接しゃべってないんです。直接しゃべっていたら現実かなと思うんですけど、留守電に入れてたんです。そして留守電の最後に「話があるから電話ちょうだい」みたいなことを残したのに、(上記で述べたジュリーとお父さんが電話でしゃべっていたことが妄想とするならば)これ以降、全く電話は掛かってきてません。そしてその後何度もサラはジュリーのお父さんに電話してますが、1度も出たことがありません。
あと十字架を取り外したはずなのに、いつの間にか元通りになっていたりというのが何回かありましたよねっ。きっと十字架が掛かっているときは妄想のシーンなんだと思います。
殺人事件 は本当に起こったのか?
これはどうなんでしょう?きっと殺人事件は起こってないですねっ。,了笋旅佑┐如▲献絅蝓爾浪誘の人物であり、サラは別荘では1人っきりで過ごしていたということなので、きっとサラの小説の中だけの話でしょうねっ。
▼ ユウ太さんのコメントより引用 ▼
方法hypnoticly誰かに影響を与える
答えは見た者が自分なりの解釈で決めて良い作品だと思いました。非常に難しい。まぁそれが監督の狙っている所なのでしょう。それでは自分が考えた、感じた事を書かせて頂きます。
が 全て仮説になってしまいますがね。なぜならば明確な答えは劇中にはなんら出てこなかったので自分の考えは正確な答えとは限らないのです。まぁ以下の様に解釈をしました。
まずサラはクライアントで出版者のジョンと不倫関係にある事が前提になります。もちろん仮説です。
サラの小説は息詰まっている所があり出版元にも読者にも新作が期待されていました。
一種のスランプ状態にあり南仏の別荘へ。と誘われましたね。サラはミステリ−を得意としていたのですが恋愛、官能的な小説を心の奥底で書きたかったのではないか?という側面があると思います。普段はキツイ目をして仕事一筋のタイプですが何処かで大胆な事を書いてみたい。やってみたい。という願望があったのではないでしょうか?
そして南仏の別荘で気分転換が出来て新しいミステリ−のアイデアが浮かんできましたが、ジュリ−が現れるのです。自分が思うにジュリ−は出版者ジョンの過去の不倫相手の娘で本当に存在する人物なのです。(仮説)ただ、最後のシ−ンで名前が微妙に違う娘が登場しましたね。あれが本妻の娘(仮説)
昔、母親とこの別荘に何度か来ているのでしょう。サラが「娘は来ないって言ってた」という台詞がありますが、本妻の娘はもちろんイギリス?に居て、別荘には行っていない事になります。
その後、ジュリ−の大胆な行動を目撃してからミステリ−小説のネタにする為に観察を続けますが、この時サラは自分の奥底に眠っている願望を少しずつ呼び起こされているのではないかなと思いました。そしてサラがジュリ−の日記の様な物を読んでジョンの愛人の娘だと確信をし、ジュリーの母親は自分と同じ立場だったのだと認識します。だから物語の後半からサラに少しずつ心を開いていったのではないかと考えました。
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またジュリ−はサラの原稿を盗み見て、自分を観察してネタにしていると分かります。このときジュリ−は母親の意志を継ぐのですね。そう、ジュリ−の母親はサラと同じく作家で恋愛小説?をジョンにけなされた過去があると台詞で出てきました。作家としての才能を見抜かれて不倫関係だったジョンに捨てられてしまったのでしょう。その後、自殺か事故かで亡くなったのだと思います。ジュリ−のお腹の傷を見て心中も考えられると思いますがそれも分かりませんね。
母が捨てられ自分も捨てられてしまったジュリ−は、ジョンを恨んでいたと思います。多分、破天荒な性格もそのためで別荘に勝手に来るのもジョンへの嫌がらせだと思います。台詞で「彼は私が居ない方が良いと思ってるだろう」みたいな事も言っていましたね。
そしてジュリ−は自分がネタにされていると知り、より大胆に見せつけそして殺人を起こすのです。「本と作家であるあなたのため」と言っていました。自分を題材にネタを提供し、そして最後に出した母親の原稿をサラに渡し、けなされてこの世に日の目を見ることの無かった母親の小説をサラに託したのです。サラも自分が愛人としてもて遊ばれ、利用されている事とジュリ−とジュリ−の母に対して同情して小説を書いたのだと思います。
サラは、別荘に後から行くと言って来もしない、そして電話にも出ないジョンに対して心が冷め、自己とジュリ−、ジュリ−の母の為に、多分クライアントからは出版されないだろう小説を書き上げて他社に出版させ、契約まで打ちきってジョンから離れて行ったのだと思います。こうして小さな復讐は完成するのです。もちろん全部が全部、現実だったわけでは無いでしょう。サラの夢で見た事や妄想も沢山、含まれて描写されていたと思います。
もう一つサラにはメリットがありました。ジュリ−と生活して観察しているうちに自分の中にあった願望や欲望を開花させる事が出来たのだと思います。だから余計に「スイミング・プ−ル」を書き上げられたのだと思いますね。
パッチさんのご指摘されていた十字架の部分はこう考えました。
普段のサラは感情をあまり表に出さず信仰心等も皆無なのだと思いますが、ジュリ−によって呼び起こされた素直な感情の時に知らずのうちに自分で十字架を架けていたのではないかな。と分析してみました。
以上、自分が考えたスト−リ−ですが、色々分析して(オタクみたいですね汗汗汗っ)大筋で辻褄が合うのですが分からない事が沢山ありますね。(庭師の娘だとか)なにせ仮説を立てないと繋がって行かないのですから。ですから上記は自分の感じた事の何者でもなく、答えではありませんのですみません。監督にとても難しい宿題を出された感じですね。
機会があれば他の皆さんのレビュ−を沢山見てみたい!と心底思わせる不思議な作品ですね〜
本当に透き通る青の、揺らめく水面の様に現実と妄想、欲望が複雑に入り交じったハイレベルなミステリ−ですね。まさに「スイミング・プ−ル」といった作品です。
けっこう長く書きましたけど、まだまだ疑問はいっぱいあるんですよねっ。それにきっと私の考えとは違う人はたくさんいると思います。この映画に関しては観た人それぞれの考えがあると思うんです。捉えかたが幾通りもある映画なので、いろんな人の意見を聞きたいですねっ。
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