レ・ファニュは、『カーミラ』、『緑茶』などでホラー作家として知られていますが、今日のそれとは全く違います。彼は、センセーション・フィクションの第一人者として、読者に戦慄を与える素材として怪奇現象を利用していただけで、本作品のように、生身の人間が引き起こす恐怖を描く、いわばサスペンス物も得意でした。また晩年にはかなりミステリーっぽい作品も書いています。 本作品は、ポーの『モルグ街の殺人』の後に書かれているためか、密室殺人まで登場し、かなりミステリーに近い線を行っています。ただ、その解明が物語の展開自体によってなされ、主題は生命の危機からいかに逃げ出すかにあるため、ミステリーではなくサスペンスなのです。 | |
登 場 人 物
マーガレット | 語り手。 |
アーサー・ティレル | マーガレットの叔父。 |
エドワード・ティレル | アーサーの息子。 |
エミリー・ティレル | アーサーの娘。 |
フランス女性 | マーガレットの付添。 |
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そして彼らは自らの血のために待機した。自らの命のためにそっと潜んでいた。
利益を得ようとして、貪欲な者はみなこうする。それを得た者の命を奪いさる利益のために。
このアイルランド貴族の物語は、可能な限り、その『ヒロイン』、故D――伯爵夫人が語った言葉の通りに書かれている。従って、第一人称で叙述される。
母は、私がまだ幼少の時に亡くなったので、母のことは微かにさえ憶えていません。その死によって、私の教育は生き残った親の手に全く委ねられることになりました。彼は、こうして自分に投げ掛けられた責任を厳格に感じ取って、その仕事に当たりました。私の宗教的教育は殆ど大げさな気遣いをもって行われました。もちろん、私は自分の地位と富が要求する教養を修得するために最高の教師たちを付けられていました。父は、いわゆる変人で、私の扱い方は、いつも親切でしたが、愛情と優しさよりは高度な不屈の義務感に支配されていました。実際、私は、食事の時を除いては、滅多に父に会って話をすることはなく、その時でも、父は、優しいものの、いつも内気で陰気でした。暇な時間は、多かったのですが、書斎か独り歩� ��で過ごしていました。つまり、父は私の幸福や教育には、自分の義務を果たすために良心が要求する以上の関心を持たなかったのです。
私が生まれる少し前、父に非社交的な習慣をもたらし、それを確立するのに大きく影響した出来事が起こりました。殺人の嫌疑が自分の弟に掛けられたということなのですが、司直の介入を招くほどのものではなかったものの、それは世間での父の評判を壊滅させるには十分でした。この不名誉な恐ろしい疑いは家名に響き、父は深く傷ついて、それでも自分自身は全く弟の潔白を確信していました。この真摯で強い確信を父はその後実証しましたが、それがこの物語に出てくる破局をもたらすことになったのです。
しかし、自分の直接経験した冒険に立ち入る前に、前述の疑惑を招いた状況を話しておくべきでしょう。それ自体が少々興味深いし、その結果はこれからの物語にとても密接に関係していますから。
私の叔父、サー・アーサー・ティレルは陽気で贅沢な人ですが、さまざまな悪徳の中でもゲームに破滅的なほど熱中していました。この不幸な性癖は、資産状況が節約を余儀なくさせるほど深刻に悪化した後でも、彼に取り憑いて離れず、外の楽しみは殆どやめてしまったほどでした。しかし、彼は高慢というよりは虚栄心の強い人で、自分の収入の減少がもとでこれまで競争していた相手を勝ち誇らせるのには耐えられませんでした。その結果は、もはや高価な放蕩に耽らず、遊興の世界から身を引き、遊び仲間にはできるだけ体裁のいい理由を思わせておくことでした。しかし、彼は一番好きな悪徳を思い切ることはできず、それまで自分が通っていたこの高価な寺院の偉大なる神を崇拝することができませんでしたが、それでも自分� ��目的にかなうだけの偶然の信奉者を集めることはできると思っていました。その結果、キャリックレー(叔父の住居の名前)にはそのような訪問者の一人や二人いないことはありませんでした。あるとき、彼は、ヒュー・ティスドールという、だらしない、実に下品な習慣の持ち主ですが、かなり裕福で、若い頃叔父と大陸を旅行したことのある紳士の訪問を受けることがありました。その訪問の時期は冬で、従って、屋敷は通常の家人のほかには殆ど人がいませんでした。従って、その訪問は非常に歓迎すべきものでした。特に、叔父はその訪問者の趣味が自分のとぴったり一致していることを知っていましたから。
ティスドール氏が滞在すると約束した期間中、二人は共通の楽しみに耽ることに決めたようでした。その結果、二人はサー・アーサーの自室に殆ど一日中そして夜も大半は閉じ籠もって、殆ど一週間を過ごしました。その終わりに、召使いがある朝、いつものように、ティスドール氏の寝室のドアを繰り返しノックしましたが、返事が無く、開けようとして鍵が掛かっていることに気づきました。不審に思われたので、家人は怪しんで、ドアを破ってベッドの方に行くと、その部屋の住人が半分身を乗り出し頭を床近くに下げて死んでいるのが発見されました。こめかみに深い傷がひとつ、見たところ鈍器によって加えられ、それは脳にまで達していました。それより弱い別の一撃が――おそらく最初に狙われた――頭をかすめ、頭皮を少� ��剥ぎ取っていました。ドアは内側から二重に鍵が掛けられ、その上その鍵はまだ鍵穴に差し込んだままになっていました。窓は、内側から施錠されていませんでしたが、閉まっていました。少なからず人を迷わす状況で、部屋からはあとひとつしか脱出方法はありません。この部屋も古い建物に囲まれた中庭に面していますが、中庭には以前狭い戸口と通路が四角形の一番古い部分にありましたが、後に建物ができて出入りできなくなっていました。その部屋はまた三階にあって、窓はかなりの高さにあり、その上石の窓枠はとても狭く、窓が閉じられているとそこには誰も立てません。ベッドの傍には被害者のものである一組の剃刀が見つかり、一つは床に落ちていましたが、二つとも開いていました。致命傷を与えた凶器は部屋� ��中に見つからず、足跡その他の犯人の痕跡も発見できませんでした。サー・アーサー自身の提案で、すぐに検死官が呼ばれ検死審問が開かれました。しかし、程度の如何を問わず何も決定的なことは引き出せませんでした。部屋の壁、天井、床は、隠し戸その他の秘密の通路がないか確かめるために、丹念に調べられましたが、そのようなものは出てきませんでした。捜査は綿密に行われ、暖炉には一晩中火が大きく燃えていたのに、彼らは、そこから逃走が可能かどうかを見つけるために煙突そのものまで調べるに至りました。しかし、煙突は古風に備え付けられ完全に垂直に暖炉から立ち上がり、屋根から十四フィートの高さまで達していて、内部を登ることは殆ど不可能で、煙道は滑らかに漆喰が塗られて、天辺まで上戸を伏せた� �うに傾斜が付いていましたから、この試みも成果を挙げませんでした。仮に頂上まで達したとしても、その高さから、鋭く急な傾斜をした屋根に危険な下降をすることになります。暖炉の灰も煤も、見られた限りでは、いじられた跡は無く、状況はこの点で決定的でした。
サー・アーサーはもちろん取調べを受けました。彼は明白に、隠すことなく証言し、それはあらゆる疑惑を沈黙されるに足るものでした。彼が言うには、この惨事が起こる直前の夜に至るまで、自分は巨額の負けを喫したが、最後の勝負でもとの名家を取り戻しただけでなく、四千ポンドにのぼる勝ちを収めていました。その証拠として、彼は、故人の手になる、惨事のあった日付の、その金額の借用書を提出しました。彼はその状況をレディ・ティレルと家人の何人かがいる前で挙げていました。この供述は彼らそれぞれの証言で裏付けられました。陪審員の一人は巧妙にも、ティスドール氏が巨額の負けを蒙った状況は、たまたまそれを聞いた悪意のある人間に、自殺したと思われるような方法で 彼を殺した後で金を盗むことを思いつかせたかも知れないと言った。ケースから取り出されて落ちていた剃刀によってこの仮説は強く裏付けられた。この計画にはおそらく二人の人物が関与し、ひとりは眠っている人の傍で見張り、いきなり眼を覚ませば殴りつける用意をしていて、もうひとりは剃刀を取って、深い切り傷を負わせ、それが被害者自身の行為によるものと思わせようとしていたというのだ。その陪審員がこの仮説を述べると、サー・アーサーは顔色を変えたと言われている。しかし、彼が関与したとする法的な証拠のようなものは何も無く、結局評決は一人またはそれ以上の正体不明の人物による犯行となり、事件は、五ヶ月ほどたって父がアンドルー・コリスと署名した手紙を故人の従兄と称する人物から受け取るまで� ��く何事もなかった。この手紙は、父の弟、サー・アーサーが、最近の殺人事件に関するある状況を説明できなければ、疑惑を招くだけでなくその身体にも危険があると述べ、故人が書いた、殺人が行われた当日付けの手紙の写しを添えていた。ティスドールの手紙には、他の数多くの事柄のほかに、次のような一節が含まれていた:
私はサー・アーサーと苛酷なゲームを演じた。彼はその汚いトリックを幾つかやってみたが、すぐに私もヨークシャー人で、それが役に立たないことに気づいた――わかるだろう。私たちは、頭も心も魂も善良な者同士のゲームをすることとなった。実は、ここへ来てから時間を無駄にしていない。少々疲れたが、この苦労は十分報われると確信している。ダイス・ボックスの音楽を聴けて、払う金のある限り、私は眠ろうと思ったことはない。前にも言ったように、彼はその奇妙な手を使ったが、私はそれを堂々と挫いて、彼に本物の 手痛い教訓という奴をちょっぴり味わわせてやった。つまり、私は老準男爵をいままで彼が経験したことがないほどむしり取ってやったのだ。殆ど鵞ペンの先しか残らないほどにね。私は、彼の手になる――にのぼる金額の約束手形を手に入れた。丸数でよければ、二万五千ポンドで、私の携帯金庫、即ち、二重留金の財布に安全に納まっている。私は二つの理由でこの廃墟のような鼠穴を明日早く立つ。第一に、私はサー・アーサーが担保できないと思われるところまで彼と勝負する気が無い。第二にサー・アーサーから百マイル離れている方が彼と一緒にその家にいるより安全だ。いいかい、ここだけの話だが――私は間違ってるかも知れんが――私は、――によって、自分が生きていると同様確実に、サー・アーサーは昨晩私を毒殺� ��ようとしたんだ。どちらの側にある友情もここまでさ。最後の勝負にかなりの額を勝った時、我が友は額を両手の上に突き出して、こう言ったら笑うだろうな、彼の頭からは、文字通り熱い肉団子みたいに、湯気が出ていたんだ。彼の興奮は私に対する陰謀のためか、それともこれほどひどく負けたことによるものか、私にはわからない。いずれの考えをしていたにせよ、彼が少し落ち込んでいたのは無理も無いと言わざるを得まい。だが、彼はベルを鳴らしてシャンパンの瓶を二本注文した。召使いがそれを運んで来る間に彼は全額について約束手形を書き、署名して、召使いが瓶とグラスを持って来た時、彼は引き下がるように言った。彼は私のグラスを満たし、その時彼の手形を仕舞い込んでいて私の眼が離れていると考えて、狡� �にも何かをその中に垂らした。彼がそれを私に手渡した時、私は、彼が容易にわかるように、「何か澱があるから、私は飲まんよ」と言った。「そうかね」と彼は言って、同時に私の手からグラスをもぎ取って、暖炉の中に投げ込んだ。君はどう思うかね?なまやさしい奴を相手にしてると思うかい?勝つか負けるか、今夜は五千ポンドを超えては勝負する気はない。そして、明日はサー・アーサーのシャンパンの届かぬところにいるのだ。
この文書の真正性について父が疑念を表明するのを聞いた憶えはありません。弟に好意的な確信から、既に先入主の中にあった疑惑を裏付けるようなものでしたが、父は十分な調査無しにはそれを認めなかったのです。さて、この手紙の中で叔父に対して不利な唯一の点は、彼を巻き込みそうな書類入れとしての、「二重留金の財布」についての言及です。彼をこの財布は出てこなかったし、どこにも見当たらず、彼のゲーム上の取引に関する書類は死者の身辺に見つからなかったのですから。
ただ、この男、コリスの本来の意図が何であれ、叔父も父もそれ以上からからは何も聞きませんでした。ただし、彼はその手紙をフォークナーの新聞に公表し、それはすぐにもっともっと不思議な攻撃をもたらすことになったのです。私が言及したその新聞の記事は四年ほど後、惨劇の記憶がまだ新しい時に現れました。その記事は「ある人物 が死んだと思っているある人物 はそうではなくて生きており、その記憶を完璧に保っていて、それどころか、重大な 非行を犯した者を震えさせる用意がある」というとりとめもない前書きで始まっていました。次いで、あの殺人事件を実名を挙げずに述べ、そうしつつ、目撃者でないと知らないような細かい、周辺の事項に立ち入り、仄めかしというにはあまりにも明白な暗示によって、「賭博師と呼ばれる人物」 が犯行に罪があると主張していました。
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